2011年8月25日木曜日
対話の作品
10月、11月に新しい作品をつくって、それ以降の話だが、対話についての作品をつくろうと思っている。実は今年の冬からつくり始めていて、なかなかうまくいかない。これは腰を据えてつくらなければならないと思い始めている。7月末にその作品のちょっとした発表の機会があったのだが、ちょっとしたアクシデントでなくなってしまった。残念だった。現在は、他の作品づくりで時間がないので対話の作品には向かえないので、放っておいている。11月以降、また始めようと思う。対話の作品の稽古ですこしわかった事がある。俳優は被害者になったら面白くなくなるという事。俳優は加害者のほうがいい。何に対してかというと自分と観客と作品に対して。対話の作品の場合、対話の相手に対して。よく「これを(この作品を)このまま観客に見せてもいいのか? 自分がやっている事が不安だ。」という事を言う俳優がいるけど、これはそもそもよくない。これは、被害者の面をかぶった偽善的なセリフだと思う。作品の出来を心配するのは完成間近か完成後に一回だけすればいいと思う。まだつくっている最中に作品の心配をしてしまうことはよくなくて、そんな心配をするぐらいならもっと他にやる事を見つけるか、やる事を物理的にふやさないといけない。だからこの話は俳優だけではなく演出の話でもある。俳優は観客に奉仕するのではない。観客に楽しんでもらいたい、ということは考えなくていいと思う。なぜかというと観客は、俳優または演劇に奉仕してほしいなんて思っていないはずだからだ。自分は観客席にいる時そんなこと思った事がないし、上の発言をするような俳優も観客席にいる時は奉仕されたいとは思っていないはずだ。俳優は見せ物ではなく、見せられ物だと思う。
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